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其の1

其の3




歴史評定 のお話 其の2


あらいさん

ある本で正親町天皇黒幕説を読みました。

動乱の世を鎮めるために朝廷勢力が信長を利用、不要になったところで光秀をそそのかす。で、事態を収拾するために秀吉に指示といった内容だったと記憶しております。

読み物としてはおもしろかったのですが、果たして当時の朝廷勢力にそこまでの実力があったのか少し疑問に残ります。でも衰退した朝廷も権威は残っていたという資料も見たことがありますし。

私個人としては非常に興味をそそられる説ではあると思いますが、あくまでも推測の域を出ていないなあ、と思います。

長谷川剛士さん

徳川家康が裏で明智光秀を、操っていたと僕は思う。
僕は、徳川家康が一番嫌いです。

Matchyさん

通説では、織田信長を本能寺にて暗殺したのは、明智光秀ということになっていますが、明智光秀が織田信長を殺した理由も、はっきりしたことは分かっていませんし、また裏で誰かが糸を引いていたとも限りません。
 僕が思うには、本能寺で織田信長が死んだことにより、一番得をした人間が一番怪しいと思います。すなわち羽柴秀吉です。

理由��
 明智光秀は、織田家の各軍団の中で最も兵力が小さく、本能寺で織田信長を暗殺しても、備中高松の羽柴秀吉、大阪の丹羽長秀、越中の柴田勝家、前田利家、佐々成政などの織田家の軍団や、また織田家の混乱につけこむ他の大名と戦い、全て打ち勝たなければならず、とうてい勝つ見込みがあったとは思えない。

理由��
 もし明智光秀に他の軍団と戦う気があったならば、のどから手が出るほど欲しいはずの軍資金を、禁裏などに寄付するのは合点がいかない。

理由��
 明智光秀は信長の首を上げていない。そればかりか嫡子信忠の首も上げていない。織田信長を殺し、天下を奪うという野望から信長を殺したにしても、「朝廷をないがしろにした逆賊信長を討つ」などの大義名分が必要なのに、それを立証するための信長の首を上げていない。

理由��
 中国大返しにおいて、通説では6月5日(日付については6日という異説あり)午前2時に出発した秀吉は、6日午後4時に姫路城に着き(この間約105キロ、38時間)、9日早朝に出発、天王山には13日の午後到着している(姫路から天王山まで約127キロ、4日と数時間)。単純に計算しても1日45キロ以上の肯定である。しかも途中雨が降っていたことになっている。人馬とも疲れ果てた状態ではたして戦争ができるでしょうか。秀吉が信長暗殺の首謀者で、信長が暗殺される日取りが分かっていたら、もっと早くに高松を出発できるのではないでしょうか。

理由��
 6月2日に本能寺の変。3日午前0時頃に信長の死が伝わる。4日午前10時頃、高松城城主清水宗治の切腹。5日午後2時に秀吉は京に向け進軍する。そして同日に摂津茨木城城主、中川瀬兵衛に信長健在との偽書を送る。事がスムーズに運びすぎているのです。しかも、京に一番近いため、一番光秀を討つ(一番最初に交戦する)可能性の高い中川瀬兵衛に偽書を送っています。なぜ秀吉は中川瀬兵衛に偽書を送って足止めをさせたかというと、(光秀側につかないためという説がありますが)一番最初に光秀と交戦し、光秀を討ち取らなければ、信長死後の織田家中において一番の発言権を得ることができないからです。

理由��
 秀吉は、結局織田家をつぶし、自分が天下人になった。

 つまり本能寺の変とは

 秀吉と光秀が結託し、まず秀吉が高松に信長を呼び出し、それを光秀が討つ。そしてその光秀をも秀吉は裏切り、光秀を討つ。そのため、秀吉の謀略の一部始終を知る明智軍の残党を皆殺しにするため、執拗なまでに明智狩りを行う。または光秀は全くの冤罪かもしれません。本能寺で信長を殺したのは実は秀吉の隠密部隊か、蒲生賢秀・氏郷親子かもしれません。なぜなら、秀吉に与した武将の何人かは、本能寺の変の数年後に死んで(おそらく秘密保持の為に謀殺されて)いるのです。そして、本能寺の変は、明智光秀によるものだと偽の証拠をでっちあげます。
 また、小早川隆景、安国寺恵瓊と結託し、信長を呼び出すために八百長の高松城攻めをして、なおかつ、自分が京に向かうときは、吉川元春に(吉川元春は秀吉と小早川、安国寺とのつながりを知りません。知れば毛利に対する裏切り者ということで、この2人を切ったかもしれません)後ろから攻めさせないように牽制させたのではないでしょうか。なぜなら、秀吉の天下において、小早川、安国寺は優遇され、吉川家は冷遇されているからです。
 信雄が安土城を焼いたというのも諸説様々ですが、これも成人した信雄を織田家の当主にしない秀吉の謀略で、わずか3歳の三法師(信長の嫡孫)を擁立し、柴田勝家などの秀吉による政権纂奪を阻もうとする人間をことごとく殺すことになります。
 明智光秀は、菅原道真や崇道天皇など政治的陰謀の犠牲者となり、冤罪で殺された人たちと同様、死後祟りを恐れた人々によって、神社に祀られました。すなわち福知山御霊神社です。

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毎月20日更新予定

MIKさん

はじめまして!MIKというものです。さまよっているうちにここに到達しました。
信長やってていつも思うんですが、島左近清興(字あってるかな?)さんの能力値になっとくいかないです。
石田三成が三顧の礼で迎えた、知勇並ぶものなき武将って書いてるでしょ! なんで知謀Bなの?内政は良いとして、これは納得いかんです。最大値はまあ良いですが..
..言いたくないけど...やっぱり負けたから?...(涙)

将星録が楽しみです。能力値は、上下なしの100最高になるそうです。島さんは今回はきっと強いです。 いや、たぶん強いです...予想能力(他の武将にもよりますが)政治55 戦闘86 知謀88、足軽C 騎馬A 鉄砲C 水軍E、特殊は騎突のみ。 私のイメージではこれでOKです。うー、3月がまちどうしい。

柴宮 両兵衛さん

竹中半兵衛が大好きなんです。
きっと,きっかけは武将風雲録の戦闘94でしょうけど(^^;

でも,それで気に入って「竹中半兵衛」なんて本を読んだり,その他色々なところから知識を仕入れたところ,この方が智将であることが分かり,益々惚れました(^^)

何と言っても「目立たないところで大活躍」と言うところが良いです。
活躍を殆ど猿め(秀吉)の功績のように言われているのが悔しいですが…。

早くに亡くなってしまったのは残念ですが,長生きしたら前述の良いところを損なっていたかも知れませんね。

 名を半兵衛と官兵衛から1字ずつ貰った柴宮重高

#了承を得たわけではないので,「奪った」?(笑)

蒲池義久さん

築後国柳川城主の蒲池氏の遠い末裔です。
肥前の龍造寺隆信の謀略により柳川の蒲池本家は滅亡しますが(一人、徳姫だけが家臣と共に長崎の有馬氏のもとへ落ち延びる)、私の先祖の蒲池分家の方は、豊臣秀吉による領地没収後も存続しました。
蒲池初代は、嵯峨源氏の蒲池久直で、松浦氏と同族であります。
なお、本名が蒲池法子こと歌手の松田聖子は、蒲池本家の子孫で、彼女の兄で44代目になります。
現在、詳しい歴史を調べています。

サリバーさん

「鬼義重」こと佐竹義重を応援して、はや10年。
天翔記になって、佐竹家の家臣が多くなり大変楽しい毎日。
だてに後北条や伊達と競い合っていたわけではなかったんだとつくづく実感。
常陸太田に足を運び、歴史を忍びたいものです。
「源氏川」という川も流れているらしいし。

Makotoさん

私も戦国で一番大好きな武将は、といわれればやっぱり竹中半兵衛重治につきます!
皆様のご意見で仲間がいてとてもうれしかったです。
竹中半兵衛については伝説のほうが多くて、確かにどこからどこまでが本当なのかわからないかもしれないけれど、たとえ多くが伝説や虚構だとしても、火のないところに煙りはたたぬ、というわけでやはりすばらしい智将だったのだろうと思います。
しかも人柄が日本人ごのみですね、なんともさわやか!
やはり一番好きな下りは黒田孝高の嫡男の松寿丸を匿う場面ですね。戦国の話は好きだけれど、時として策略と欺瞞に満ち溢れて人としての大事なものを無くしそうな時代にあって、そういう価値観があったというのはとてもほっとします。(もしかして官兵衛を秀吉に繋ぎ止めるためだとしても、あの信長の命に背くことがすごい!)
そして「信長の野望」今度はどんな能力の武将で登場でしょう?
ちなみに顔も良いといいのだけれど・・・だって女性と見間違えるような優しい顔立ちだった人だそうなので。

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