井戸端新聞・第五号  
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[今週のINDEX]

第六回井戸端評定開催の御案内

第五回井戸端評定の結果

檄文新規追加の告知

投稿記事募集

管理衆からのお願い

空きハンドルネームリスト作成について




 第六回井戸端評定開催決定 

此度、井戸端評定において、毎週議題を設けて評定を開催致します。
開催は毎週日曜日午後十一時三十分〜翌午前一時迄で御座ります。
議題の内容は、戦国中心となりましょうが、それ以外(三國志など)も可と致します。

第六回は、十一月十六日午後十一時三十分。
戦国の議題・「羽柴家興隆談義(本能寺の変後)」


※ 随時井戸端評定の案内(
「評定開催」)へ掲載されております。
※ 評定が始まれば参陣の方々には挨拶をしないで下さい。拙者等代表が挨拶しますのでご安心下さい。
※ 当面は参加者のお名前を参考に、各大名家にまつわる議題で進めて行きます。
※ 各自議題を用意して評定に望んで下さい。毎評定終了後に次回議題を決定します。
※ 傍観も認められています。

奮ってご参加くださいませ。

尚、昼衆の皆様にはこのように新聞にて結果を発表したいと思います。
何卒ご容赦下さいませ。



 第五回井戸端評定の結果 

さて、白熱の論議が交わされた第五回の評定は無事に終了しました。
参加出来なかった方々の為にも結果を掲載します。

戦国の議題・「徳川四天王談義」

※四天王では無く、三傑が正しいのか?
・『榊原家譜』に本多・井伊・榊原が三傑であるとの記載がある。

・数正出奔以降、家康旗本・酒井組下・石川組下という三備えが崩れ、家康の旗本であった部将が地位を高め、本多・井伊・榊原が軍団長として台頭。

「本多忠勝」
※井伊直政とは不和であった。
・榊原とは同年であったが、井伊は年下でもあり、破格の出世もし、駿河者であった事が原因と思われる。
※終生身に疵を負わなかった。
・戦場で自らも槍(蜻蛉切り)を持って先鋒の中の一番手(先頭の先頭)で戦っていながら畳の上で死んでいるのは誉れである。
※豪気な一面。
・鉄砲を怖がる兵士に向かって言った言葉で、
「鉄砲の音が聞こえたのなら、まだ生きていると言う事じゃ。」

「榊原康政」
※本多忠勝と共に治世時には左遷か?
・本多・榊原は桑名・越後高田へ。中央からの隔離か?
・外様に対する前線への備えか?
※井伊直政との不和。
・1582年、家康が井伊直政に大量の武田遺臣を付したとき、榊原康政は激怒した。

「井伊直政」
※優遇。
・徳川軍2万5000の40%(1万)が与えられた。
これにより、井伊直政の権限はかなり向上。
※井伊直政に赤備え
・武田の旧臣は殆ど井伊に与えられたのは新参の甲斐衆は信用が無かったから。

「酒井忠次」
※晩年の不遇。
・信康切腹による恨みか?
・子飼いの武将を優遇して自己権力の拡大(=家老の権力縮小)を図ったか?

・石川数正出奔後の軍制の改革で疎外される。
・大久保彦左衛門の『三河物語』ではぼろくそに書かれている。
・後に出奔。秀吉に与えられた隠居料にて晩年を過す。

※余談。
・関ヶ原当時の四天王の石高は
井伊「12万石」 本多「10万石」 榊原「10万石」 酒井「隠居」。
・単独の一族で政権の最高位にあったのは徳川家が世界一の長さを誇る。
(周は一時期クーデターがある。)

以上が主な意見でした。
皆様のお考えは如何に?!



 檄文新規追加の告知 

さて、会盟(オフ会)の檄文が新たに追加されました。
今回は関西を中心にしております。
詳細は
井戸端会盟檄文
に載っております。



 投稿記事募集 

井戸端新聞では投稿記事を募集しております。
内容は何でも構いません。
例:御薦めの小説、自作小説、歴史に関する記事です。
投稿の際は鍋島信生まで書状にて投稿して下さい。
御名前(HN)、投稿内容のみで構いません。



 井戸端管理衆からのお願い 

事情により何処のチャットにも参加出来ない方は必ず連絡して下さい。



 空きハンドルネームリスト作成について 

空きハンドルネームリストが完成致しました。 もし、名乗りに困っておられる御仁などを見付けましたら、下記のURLをご紹介して下さい。 URL:
http://www2.tky.3web.ne.jp/~nobunari/idobata/idobata.html

編集 鍋島信生:VFF07310@nifty.ne.jp
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平成九年十一月十日