井戸端新聞・第十八号  
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[今週のINDEX]

第二十二回井戸端評定開催の御案内

第二十一回井戸端評定の結果




 第二十二回井戸端評定開催決定 

此度、井戸端評定において、毎週議題を設けて評定を開催致します。
開催は毎週日曜日午後十一時三十分〜翌午前一時迄で御座ります。
議題の内容は、戦国中心となりましょうが、それ以外(三國志など)も可と致します。

第二十二回は、平成十年四月五日午後十一時三十分。
三国志の議題・「出師の表談義」


※ 随時井戸端評定の案内(
「評定開催」)へ掲載されております。
※ 評定が始まれば参陣の方々には挨拶をしないで下さい。拙者等代表が挨拶しますのでご安心下さい。
※ 当面は参加者のお名前を参考に、各大名家にまつわる議題で進めて行きます。
※ 各自議題を用意して評定に望んで下さい。毎評定終了後に次回議題を決定します。
※ 傍観も認められています。

奮ってご参加くださいませ。

尚、昼衆の皆様にはこのように新聞にて結果を発表したいと思います。
何卒ご容赦下さいませ。



 第二十一回井戸端評定の結果 

さて、白熱の論議が交わされた第二十一回の評定は無事に終了しました。
参加出来なかった方々の為にも結果を掲載します。

戦国の議題・「戦国天皇談義」

※織田信長の朝廷対策
・尊王と言われているが、どうだろうか?
…天正六年の辞官まで持ちつ持たれつであった。
…表向きの尊王であって、政治的に利用していた。
…対立していたと言う説もある。

・三職推任について
…関白か太政大臣か将軍か?
…朝廷が三職を推任したとされている。
…信長が強要したと言う説もある。村井貞勝が勧修寺晴豊へ働きかけていた。
…三職を蹴ったのでは無く、受ける前に本能寺で倒れた。

・では、権力者信長にとっての朝廷は何だったのか?
…将軍義昭追放後の出世。従三位参議になって右大臣になり…
…将軍家を後ろ楯として強権を奮っていたが、その後ろ楯を追放したため、今度は朝廷を利用したのでは無いか?
…形式的に朝廷内のポストを押さえ、それによる法的な職権に基づいて朝廷を改造・解体するつもりだった
…信長は合理的ではあるが、実に現実的だった。だから朝廷には手をあまりつけず、統制のみにするつもりだったのでは無いか?
…信長は自分にとって邪魔で、しかも不合理となれば、政治的&軍事的に実行可能となった時点で速やかに且つ断固として実行する人物だったと言える為、もしかしたら?も有り得る。
…信長は自分を神と称し、朝廷をも凌駕しようとしていた。と言う説はフロイス日本史や耶蘇会士日本通信にのみ見える文献なので、疑わしい。武家としての信長の立場を神として表現したに過ぎないのでは無いか?
(皇帝(帝)と大王(武家の棟梁)の差が異人には分からないままであった。)
…朝廷を後援したのは、信長は足利将軍家よりも強力な権威を利用したかったであり、資金援助して朝廷の体面を保たせると同時に、朝廷に恩を売ったのでは?

※戦国期の朝廷
…即位の式典すら何年も開けなかった時期と比べて、パトロンとしての信長を得てから格段に待遇は良くなった。
…信長が4000貫寄付した時はさぞかし大騒ぎしたと思われる。

以上が主な意見でした。
皆様のお考えは如何に?!




編集 鍋島信生:VFF07310@nifty.ne.jp
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平成十年四月五日