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其の4

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歴史評定 のお話 其の5


三郎信長さん   『 信長・友の会 』

テーマが「戦国評定」で良いのかどうか解りませんが、あっと驚く事実(史実)を一つご紹介します。
1年前まで私もてっきり史実と思っていた「墨俣の一夜城」は江戸後期〜明治の作り話であったというものです。
詳しくは小和田哲男著「豊臣秀吉」(中公新書)に書かれていますが、概略を簡単に説明します。

1. 太田牛一の「信長(公)記」(1610年頃):墨俣の一夜城について記載がない。永禄四年、信長が洲俣に要害を築かせた。

2. 小瀬甫庵の「信長記」(1610年代頃):永禄五年、信長が洲俣に要害を築かせた。

3. 小瀬甫庵の「太閤記」(1625年):永禄九年、信長が美濃のどこかに城を築かせ、秀吉を城主に据えた。

4. 「絵本太閤記」(1802年):今に伝わる墨俣の一夜城について記載。但し、永禄九年ではない。

5. 渡辺世裕の「安土桃山時代史」(1907年):永禄九年、墨俣の一夜城を築城。・・・1985年までの定説。

太田牛一の「信長公記」は言わずと知れた第一級史料で、牛一は信長〜秀吉の直臣。内容は日記風になっており、読みづらいかわりに正確です。
小瀬甫庵の「太閤記」は牛一の「太閤軍記」を参考にし、読みやすく、文書の改竄もあります。甫庵は池田恒興〜豊臣秀次〜堀尾吉晴〜浪人〜前田利常に仕えましたが、常に信長・秀吉の陪臣でした。
「絵本太閤記」はまさに絵本で、当時のベストセラー。いわゆる文芸作品です。
どういう訳だか渡辺世裕氏は、改竄の多い「甫庵太閤記」と「絵本太閤記」をドッキングさせてしまい、これが以後あたかも史実であったように人々から信じられていたようです。
(私も信じていました・・・)

キョウドウさん

 TVの功名が辻を見た。
原作に忠実で良かったと思う。
前々回の毛利元就の内容に元就が跡目を継ぐにあたり,室町幕府の認証を得たとなっていた。
これは永井路子著の山霧そのままだが,新人物往来社の安芸 毛利一族には全く書かれていなかった。
他の専門書を読んだ事がないので分からないが,それを示す史料があったのだろうか?

三郎信長さん

[キョウドウさんのご質問]
>元就が跡目を継ぐにあたり,室町幕府の認証を得たとなっていた。これは永井路子著の山霧そのままだが,新人物往来社の安芸 毛利一族には全く書かれていなかった。他の専門書を読んだ事がないので分からないが,それを示す史料があったのだろうか?

新人物往来社の「毛利元就の生涯」ではこうなっています。(文章:森本繁氏〜実証歴史作家)
郡山城の執権志道広良は、幸松丸の卒去から四日目の七月十九日に、国司有相と井上有景の両名を使者として猿掛城へ派遣し、元就に家督相続を懇請した。同時に一門衆の福原広俊や桂元澄に根回しをして、宿老十五名の連署状を作成し、大永三年七月二十五日、正式に元就へ郡山城入城を要請した。しかも広良は、ひそかに粟屋縫殿允(ぬいのじょう)元秀を京都へ派遣して将軍家の御内書を拝受させたから、さすがの尼子経久も横槍の入れようがなく、ついに八月十日をもって元就の郡山城入城が実現した。
大体ドラマの通りですね。私も何か変と思ってこの本を見返してみました。今回のドラマも作り事・間違いが多いと不評ですが、家督相続については史実に近かったようです。(森本繁氏の書いている内容が正しければですが。)

キョウドウさん

 三郎信長さんありがとうございました。
その情報が知りたかったのです。
新人物往来社の安芸 毛利一族を読んだ事で,TVは嘘だと知ったかぶりをしている奴がいました。
世の中には一冊の専門書から得た知識だけで全てを知ったような事を言う輩がいるのです。
話は変わりますが現在読んでいる,
武田氏研究(武田氏研究会)第17号に含まれる「戦国大名武田氏の支配構造 - 信濃支配における奉書式文書の統計分析と奉者について - 」(大井教寛)
という研究論文の中に,

山県三郎兵衛であるが,元亀三年を境に奉者となった形跡がない。
これは,山県三郎兵衛が元亀三年の三方ヶ原の戦で戦死したことを裏づけることになると考える。

という文章がありました。
研究論文なのでとにかく読みにくいのですが,「甲陽軍鑑」の史料的価値を,残されている当時の文書や史料価値の高い史料との比較から検討するというものです。
奉者というのは奉行人のことで,殆どが武田家で何らかの役職についていた人物を指すらしいのです。
山県三郎兵衛は武田家の重臣中の重臣で,最重要職である「両職」に任じられていたそうです。
他の両職の奉書式文書は,それぞれ死んだとされる時期までのものが残されているらしいのですが,山県三郎兵衛のものは三方ヶ原の戦を境にして全く無いらしいのです。
それに比べて長篠の合戦(天正三年)で真っ先に戦死した筈の横奉行,金丸平八郎(土屋昌次)の奉書式文書は天正九年までのものが現存しているそうです。
臨終を迎えた信玄が,枕辺に山県を招き,「瀬田に旗を立てよ」と言い残して絶命したのは有名ですが,全くの作り話になってしまうわけです。

陽頭さん

 こんなHPがあるとは気づきませんでした。
信長の野望と戦国時代の情報しか扱ってないと思ってたので,今まで見もしませんでした。
偶然とはいえ,ありがたいことです。
さて水滸伝,三国志演義,西遊記,金瓶梅は中国の「四大奇書」だそうですが,金瓶梅はまだ書店で見たことがありません。
なぜでしょう。
現在NHK衛生第2で毎週木曜に放送されている,中国ドラマ”楊家将”は「水滸伝」が書かれた際かなり意識し,参考にされた物語「楊家将演義」のドラマ化だそうです。
知ってました?

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