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其の12

其の14




歴史評定 のお話 其の13


稲富忠勝さん
E-mail:m-hata@pp.iij4u.or.jp

 皆さん驚くなかれ!
このHP、「幕末写真館」に幕末志士の集合写真が掲載されています。この中にはなんとあの西郷さんが映っています。
西郷さんの写真は現存しないと聞いたことがあります。それにこの写真には西郷さんはじめ竜馬、大村益次郎、後藤象二郎、さらに明治天皇まで47人の志士が映っています。かなり貴重な写真だと思いますので一度覗いてみては如何でしょうか?

奇妙丸さん
E-mail:sfuku@mxi.meshnet.or.jp

「信忠」の続きです。今回も最後まで行けませんでした。

西暦年齢出来事
157620この年から織田家と石山本願寺との対立が特に激化するが信忠自身は特に動かず。
1/5 従四位下に昇進
4月 原田直政が大阪で戦死。安土普請の総指揮を任される
5月 信長出陣「本願寺包囲戦開始」
8/4 従四位上に昇進
1577211/5、正四位下に昇進
2月 雑賀根来討伐に出陣。信長が最後まで指揮をした合戦はこれが最後。
2/28 信忠、連枝衆を率いて中野城を落とす。
3月 鈴木重秀降伏
8月 本願寺包囲中、松永久秀が信貴山城に引き上げる。
9月 上杉謙信の北陸進軍が止まる。
9/27 信忠を総大将とする軍が編成。先陣は筒井・明智・細川
10/1 先陣勢が信貴山支城の片岡城を落とす
10/3 信忠着陣。麾下の佐久間・羽柴・丹羽ら参陣
10/5 信長、松永の人質を処刑
10/8 松永側の森伝介が織田に内通。本願寺の援軍に偽装した筒井兵200が潜入
10/10 信貴山城陥落
10/15「従三位左中将」に叙任
12月 父より茶器11種を譲り受ける
1578221月 安土の万見仙千代邸で茶会を催す。
また父の命で尾張の家族を残している家臣の邸を焼き払う
3月「秀吉の三木城包囲開始」
4/4 大阪へ出陣し本願寺領内の麦などを焼き払う。
4/8 京都に凱旋
4/9 信長、右大臣・右近衛大将を辞す(信忠の凱旋は朝廷への示威行動?)
4月中旬、毛利・宇喜多が上月城包囲。秀吉・村重が対陣
4/29 滝川・明智・丹羽ら、播磨攻めの先鋒が出陣
5/1 信忠、織田全軍を率いて出陣。麾下は信雄・信包・信孝・細川・佐久間・尾濃勢州3国の軍
6/24 秀吉ら上月城から撤退、信忠に合流(事実上の切り捨て)
6/26 軍を二手に分け神吉城・志方城を攻める。
7/5 上月城、毛利に降伏
7/15 神吉城・志方城が陥落。両城は秀吉が入る
9/24 斉藤新五郎を越中に派遣。上杉の河田長親・椎名直之を破る
10月 荒木村重が有岡城に籠もる。使者を2度送るが功なし
11/9 信忠、高槻城を包囲
11/10 有岡城包囲。信長自ら指揮
11/27 中川清秀に「長光」の刀と馬を下賜する
12/8 万見仙千代が戦死
12/11 信忠、加茂に陣を移す
12/25 信長、安土に帰城。指揮権は信忠に移る。

ここまで調べましたが20才を過ぎてからの信忠は父の代わりを務めることが多くなります。
やはり、東美濃の戦歴が信長を安心させたのでしょう。雑賀攻めの後の織田軍の総指揮は彼が主に執っていて、信長自身が戦場にでてきても鷹狩りを行うのが主です。
また、信長の命で信忠の指揮下に入るのではなく、信忠が直接諸将に号令しています。
軍事だけでなく政治・外交も徐々に信忠に移って行くのです。

おそらく、院政・秀吉の太閤や家康の大御所の様な物だったと推測されます。
今となってはどの様なものかはっきりとは判りませんが...

次回は、有岡攻めの続きから「本能寺の変」まで行きたいと思います。

P.S
『信長公記』を今回から使用しました。角川文庫で出ています。
原文なので読むのに苦労しますが大変面白いです。
また間違いや感想などが有りましたらメール下さい。
では...

マモルさん

マモルでござる。
拙者 最近、前野将右衛門が気になっておる。「武功夜話」というものがあるのじゃが、高い(全四巻 各9000円ぐらい)!!!!わしの財布では手が出ぬ!それに、厚い!!わしの能力では読めぬ!!誰か読んだ方はいらっしゃるか?まぁよい...
さて、件の書物は前野家三兄弟の事歴を中心にした戦国資料とある。「竹中半兵衛 池内昭一著 新人物往来社刊」によると第一級資料というておるのじゃ。そこに、なんと!「墨俣の一夜城」について書いてあるそうな、池内氏が第一級というのなら「墨俣の一夜城」があったことになる!!ほんとか?
以前ここに「墨俣〜」はなかったという説があった。拙者はその意見に「なるへそ!(死語)」と思うたのじゃが、「武功夜話」に書いてあるから、「墨俣〜」が存在した!と書かれると、やはり「なるへそ(死語)」と思うてしまう。本当はどっちじゃ?あったか?なかったか?
いずれにしても、全てはあの講談のために書かれた「太閤記」のせいで、謎の絹に包まれたか...

奇妙丸さん
E-mail:sfuku@mxi.meshnet.or.jp

マモル殿へ
前野殿について知りたいようですね。しかも拙者と同じでお金に縁がない...
それならば、

『男の一生、上・下』遠藤周作・講談社文庫
『信長の密使、異聞・桶狭間の合戦』火坂雅志・祥伝社ノンノベル

がお薦めです。どちらも古本屋で売ってるでしょう。
運が良ければ300円で3冊とも買えます。

それから「墨俣の一夜城」ですが私の調べた所、信長公記では、一行も掲載されてません。
首巻の永禄4年5月の所に「其後洲俣御要害丈夫に仰付けられ...」と有りますから
すでに稲葉山攻めの前線基地として存在したと思われます。
家臣辞典の羽柴秀吉の欄では永禄9年9月に墨俣に砦を築くと有ります。(太閤記と武功夜話)
ですから、墨俣砦の修理をしただけかも知れません。
それでも敵前で作業するのですから並大抵のことではなかったでしょう。
川並衆の協力が有ってのことだと思います
この功績で秀吉の武将としての地位があがったのも頷けます。

P.S
久しぶりにマモル殿とキャッチボールが出来ました。
それと「氏郷」情報有り難う御座いました。才蔵殿、マモル殿。

三郎信長さん
E-mail:nari@a2.mbn.or.jp
HP:信長・友の会

マモル殿、こんばんは。「武功夜話」について。(引っ越したばかりで資料が出てこぬ故、記憶だけで書き申す。)
「墨俣の一夜城」については奇妙殿のおっしゃる通り、「信長公記」には何も書かれておらず、「絵本太閤記」に書かれております。(「川角太閤記」は無し、「甫庵太閤記」は年代違いで有り。)
「武功夜話」の史家からの評価はよく知りませんが、私は胡散臭いと思っています。例えば、金ヶ崎からの退き口で秀吉を助け、鉄砲を巧みに用いて活躍したのが佐々成政であった等々。何かと身贔屓のような気がします。(前野氏の先祖は佐々と姻戚関係であった。)
但し、信長の室である生駒の方の名が「吉乃」であることが判ったのは「武功夜話」とのことです。
「信長公記」と「武功夜話」では書いた人・年代いずれを見ても、「信長公記」に軍配が上がると思います。(「信長公記」にも間違いがありますが。)

乙三さん
E-mail:jo6-life@nsknet.or.jp

  ”Weekly Books Review”乙三の「この本を読め!」

...というのは只の前フリですが、数日前に見つけたオススメの一冊があります。
それは中央公論社刊 小和田哲男著「戦国武将」(中公新書 637)です。読書家の奇妙丸どのやマモル殿をはじめ諸氏はご存知の向きも多いかも知れません。
とはいえ戦国大名の領国支配や武将たちの考え方などを手際よく解説し、また"梅岳承芳"さんの世間に良く知られている方のお名前や、立花宗茂の奥さん"ぎん千代"についてとか、多くのエピソードも文中に織り込んでありまして、読んで楽しく為になる一冊です。

 中公新書に限らず老舗の出版元が出している新書には、密度が高い上に内容が整理されていて読みやすい名著が多く、また岩波文庫には古典文献のうち有名なものが多数収録されています。因みに、こういった売れない新書や文庫を生真面目に並べている書店が"良い本屋"だ!というのが、私なりの書店の選び方です。

 この「戦国武将」の前書きに「歴史読本」が行った戦国時代の人物の人気ランキングが引用されていましたが、「歴史?-武将の館」のランキングと見較べると「このHPの皆さんは、やっぱりマニアックなんだなぁ」と感心させられます。

 なお、以前ご覧いただいた「身分」に関する拙文に若干訂正があります。それは、ほぼ同じ階級やポストを指していても大名によって名称が異なる場合が少なくないため、「XXという呼び方は間違いでOOが正しい」というような論は余り意味がありません。
また明らかな誤りとして「供回り」というのは「お供をする行為/...している状態/...している人たち」を指す言葉であり、士分の侍が召し抱えている家来を指す言葉としては「被官」が正しいということを申し添えます。

 上様(この場合は信長公)、先日は拙文に言及して頂きかたじけのうござる。かしこ

渡部さん

13で、大閣立志伝を買って半月でエンデイングを見たよ

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